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*work*
らでぃ~!
2008年に発行された幻の冊子。テーマは「南のムラ」そして「水を巡る旅」。
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食のたからもの再発見
東京財団2009年度政策提言プロジェクト全25編。今の時代に残る各地の食の「記憶」をまとめた貴重な記録。「釜炒り茶」「木曽赤かぶ」を担当。各方面で活躍中の執筆陣に叱咤され貴重な経験させてもらった。椎葉村、九州のお茶は忘れられません






味の箱舟/ark of taste
2007年、スローフード協会のプロジェクトに協力。現在22品目が国際認定を受けた、日本の「味の箱舟」品目のうち13品目の認定を手伝った。認定品目(英語)はこちら




ここきち!
知人のMさんがやってる農家レストランポータルサイト。



国友農園
高知県いの町、山奥の実生自生のお茶を再生させた釜炒り茶。自然とともにあるお茶の原風景が広がって



熊野鼓動!
がんばってほしい友達がいるところ。



お米のふなくぼ
お米のこと、ごはんのことを大切に考えるお米屋さん




森の空想ミュージアム
宮崎県西都市。児湯郡木城町茶臼原のすぐそばで、祈りの空間。主宰は高見乾司さん。九州の民俗仮面博物館もある






*ナナオサカキ*
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ponchu

Author:ponchu
日本の歩き方……おいしい村はどこにある? by タケウチアマネ

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境界の位置









23日から3日間は北海道にいた。1日目、札幌は予想に反して雨、なま暖かい風。道の脇の之は溶けていた。カメラ壊れる。というか写真撮ろうとしたら電源入らず。どういじったらいいかなど分かるはずもなく、空しく電源ボタンを押し続け、イライラ30分もサルのように繰り返す。情けなし。あきらめるしかないのであった。心の解決策は“忘れること”。僕はデジカメなど持って来てはいなかった、何かを撮ろうとは考えてこなかった…。道具に頼るときは、それが無くなっても困らない心持も備えて頼ろう。おお、数々の社会システムも。と、そうなるといったい自分には“それが無いと困る”ものが何なのか、境界をしっかりつかまえておかなくちゃなんないな。

その上で、“それが無いと困る”ことがないように、“それ”を守るために動くのか、“それ”がしっかりあると前提して“それが無くなっても困らない”、様々を頼る範囲を拡大すべく動くのか。丸山眞男系1冊目、苅部直『丸山眞男-リベラリストの肖像』……

国家やさまざまな組織の「内側」に属し、その内部だけに浸透するイデオロギーや「常識」によって、世界を見る目がはじめから一定の「イメージ」の眼鏡をかぶせられている…人間に残されている道は、あくまでも「内側」にとどまっていることを自覚しながら、外との「境界」の上に立ちつづけることである-「境界に住むことの意味は、内側の住人と「実感」を頒ち合いながら、しかも不断に「外」との交通を保ち、内側のイメージの自己累積による固定化をたえず積極的につきくずすことにある

……だそうだ。文中に庄司薫氏の『赤頭巾ちゃん気をつけて』からの引用、知性について……

知性というものは、すごく自由でしなやかで、どこまでもどこまでものびやかに豊かに広がっていくもので、そしてとんだりはねたり突進したり立ち止まったり、でも結局はなにか大きなやさしさみなたいなもの、そしてそのやさしさを支える限りない強さみたいなものを目指していくものじゃないか

う~ん。やっぱりカメラ壊れても涼しげな心持でいられるようにしよう。そんな境界の位置にいることが大事。

北海道から戻り1日お休み。本を7冊買う。憲法関連。う~ん。どうしてこの方向に行くかなぁ。理由の1点は僕が整理したい90年代00年代。この20年の流れをしっかり把握すること。もひとつ、“良い”とされるどのような制度であれ、世論であれ、醸成されていく常識であれ、理由であれ、把握され管理の対象を拡大していくことへの反論の余地さがし。自由権って何?っていうか、世の中には放っておくべきものがあるんじゃないかという漠然とした逃げ道探し。

きっと今の社会は自分などには十分すぎるキャパシティを備えているのだと思う。だから分不相応な思いを抱く訳ではない。個人が、生まれてから死ぬまでに獲得できる“知”と、人間社会が生まれてから現在までに獲得してきた“知”があって、区別がつかない自分。自分が何を思って、何を行動することが喜びなのか、知りたい~んです。

丸山眞男―リベラリストの肖像 (岩波新書)

丸山眞男―リベラリストの肖像 (岩波新書)

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辺縁辺境









中心と周縁、山口昌男、マージナル、へりの; 辺境の; 限界の; ぎりぎりの; 取るに足らぬ; 欄外の.…などなどが引っかかる訳は何?う~ん

第1点。農地のこと考えてた絡みで。

農地なるものが農地開放政策で一旦、国が召し上げて、農家に再分配されたと位置づけられると。国民の共有地だからみんなで国の食料生産お願いしますと農家の人たちに預けたと。そのかわりしっかり作ってねと。国民はしっかりしないなら返してねと言う権利があると。…仮に農地という場所がそんな法的な位置づけをされるのだとしたら、「しっかりする」とはどうすることなのか、という疑問が沸いた。安くおいしい食料を必ず作ること、生産効率を上げること、だけが農家の義務、と見做すパターンが浮かび、同時に見渡す限りの広い畑で巨大トラクターコンバインでガシガシ、山あり谷ありの田舎で山削りまくり谷埋めまくりブルドーザクレーン車なんでもありでコンクリ打ちまくってガシガシ、の風景浮かんだ。

そうした開発から、常に取り残される場所があるなぁということ。役に立つとはこの場合、国民の食料を供給する資格を有するか、その可能性を持った土地のことだから、国民用ではないが自分用または隣近所用ならちょっと不便だけどOKという土地の隙間はあるんじゃなかろうかと思った。

そこはきっと野生と人為の境界の場所だろう。有用性の領域は常に拡大していくので、ヒトの入り込めない天然(?)の領域が日本にあるうちは境界の領域は存在し続けるんだろう。しかし人為の領域を都市と呼び人里と呼んで、天然の領域に神様を住まわせたりはしても、境界の領域はいつでも「役立たず」であり続けるだろうな。しかしそこが一番おいしい、というか、楽しい場所。大切な交歓の場所、内山節氏言うところの「自然の人間の交通」が成立する唯一の場所だったりする。カウントされない場所。

第2点。それは都市にもあてはまる。

オヤジ臭いこと言うが、昔は新宿ガード下とか、傷痍軍人とか、からはじまって、ヤミ市とか焼け跡とかの残り香がぷんぷんしてたけど、なくなったのだ、猥雑で小便臭い場所が。そこは恐くて汚い場所、何か入り込んではいけない場所のようで、困った。が、境界という意味ではそこは何との境界だったんだろうな。中沢新一氏が『アースダイバー』で示したような聖俗一体の何かが潜んでいるといえばいいのか、美輪明宏から通じていくような美があるといえばいいのか、混沌といえばいいのか、かたちをなさずに蠢いている原理のようなもの。アスファルトはがして露にされる湿った地面を見て気づかされる、元々いた場所。

第3点。ポピュリズム考えてても浮かんできた。

インタネットでヒトの頭脳は様々な世界を認識したと思っても、実際は全く変化のない日常を過ごしていたりする。ほとんどのヒトは(自分も含め)埋没。投票でもシゴトでも世界が求める効率性の渦があるので二元論またはそれに近い状況で自分の帰属先から判断を迫られ続ける。そうは言っても世の中フクザツなのでそんなスピーディに次から次へと決断できる人間などいるはずもなく、辺縁に追いやられるのだけはイヤだと思考停止して、とりあえずイメージとしての中心、主流に票を落としたり、帰属を再確認したくなったりする。予定調和。そんな行動をしてしまった結論を見るのがイヤなのでさらに思考停止、保険をかけて税金を払って、準備されたお膳立てに身を投じていくという処世。溶けてしまうのだ。僕は自虐的だな。

しかししっかりできてるというか、僕も含めそんな皆の気持ちを察して、今の世の中ちゃんと思考停止の受け皿ができてるのがスゴイ。テレビ、しんぶん。これでは辺境辺縁マージナル形無しである。場所を失うということ。

辺縁辺境、要は自由の問題なのかな?

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90年代、00年代

自分に確認しておきたい。金融崩壊、世界の食糧問題などでいよいよ感じること。とうぜん、社会的には、環境保全型農業はこれからも支持すべきと思うが、今後、食について僕たちはどう考え、どう行動するのが良いか。

時代の動きは的確というか、必要なときに必要な事件事故がピタっと発生する。振り返ると、僕が今、遅まきながらヤバイと考えるようになった、そもそものおおもとは1990年代の状況のように思える。90年代がどんな10年で、次の10年としての今が、どんな10年なのか。ここらへんをしっかり理解して、次の10年、20年への足がかり、自分の立ち位置をはっきりさせたい。

ざっと90年代のこと。ベルリンの壁崩壊が89年。ソ連崩壊91年。平成大凶作は93年で、翌年食管法改正。ウルグアイラウンドからWTOが生まれたのが95年、農水の有機に関するJASガイドライン、PL法もこの頃だ。おっと、野茂英雄がドジャーズ入団は95年。遺伝子組み換え作物の栽培開始は96年。バブル崩壊も。後半はなだれのように様々な問題が噴出していく。東海村原発事故、所沢ダイオキシン問題、環境ホルモン問題、雪印に象徴される食品偽装はその後、掘れば掘るほど出て来たし、98年はちゃっかり、LTCMの人がノーベル賞を授与されてたりした。あれれ、ゆとり教育とかで学校が完全週休2日になったのもこの頃か。99年はユーロが登場した。

きっと90年代は冷戦後の世界が考えを変えていく過程だったんだろう。来るべきグローバル経済への助走期間として、国や多国籍企業はせっせと21世紀への準備を始めていた。生活や生産の現場はそれまでの枠組みの金属疲労というかシワ寄せで、それまでばらばらだった不安心理が何か共通の“不安”に収斂していった感じ。当時は何がどうなっているのか、何だかわからなかったが、振り返って考えると、この10年でみんなが、どこか骨抜きにされていったのかな、と思う。のほほんとしていたのか。

いやいや、活動の進展過程にあった(団塊)市民セクターの動きもあった。勝手な解釈だが、70年代にオルタナティブを目指して芽生えた各地の様々な市民運動は、86年のチェルノブイリ事故を経て質的転換を目指し始めていた。コマゴマと分散していた運動体がヨコ連携を果たした“ばななぼうと”が87年、民衆交易を標榜する株式会社ATJもこの頃か。僕のウンのツキでもある、ら社創業は88年、反原発派市民セクターが衆議院総選挙にチャレンジしたのが89年、新党ブームで与野党逆転の総選挙で高見裕一氏が当選したのが93年だ。94年の阪神淡路大震災では市民ボランティアの存在が大きくクローズアップされ、この年に大地を守る会が主導して全国の“いのち派”生協、ら社も結集してDEVANDAという集会も催された。有機JAS法反対!もしていたし、遺伝子組み換え反対! 環境ホルモン反対! ダイオキシン反対!と、やたら元気も良かった。そして98年にはNPO法施行。

有機JAS法施行2000年。ジョージ・M・ブッシュが大統領になった年。2001年、あの911テロが起きたその日には国内初のBSE感染牛が報道されもした。ここから気分もいきなり変わっていった。ブロードバンド、インターネットの爆発的普及も2000年に入ってからで、Googleが株式公開!とマスコミを賑わせたのは2004? グローバリゼーションというヤツが世界中を席巻。以降現実に起こる問題を追いかけるように、様々な規制と自由化が進んでいった。ああ小泉政権も。“トレーサビリティ”という、当時は聞き慣れなかったコトバも一般化した。食育基本法?消費者庁?おっと会社法。防衛省07年。この間、消費者の意識もだいぶ変化したように思う。ポピュリズムが制度化されていった流れとでも言うか…。

さて市民セクターはといえば21世紀になってどうだったろうか。痛みも伴うのであまり書けない気がするが、ら社は企業に売却された。2000年、あの藤本敏夫さんが自然王国を設立するも02年に亡くなってしまった。僕の敬愛する山尾三省さんは01年8月に。スローフードムーブメント、00年(日本で)。カルタヘナ条約発効04年、06年にはとうとう有機農業推進法施行。

……歯抜け部分もあるかと思うが、こんなところがざざっと浮かんだ出来事。わかるだろうか。変化しているのだ。以上を総括していきます。

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畑は海である

ずいぶん昔、「稲穂は海」というような表現に出合ったことがあった。

たわむ稲穂が風になびいて、波の幾何学模様を描くそのさまに、ああなんて田んぼはすばらしいんだろうと、たしか30歳のころ、感動したこともあった。その記憶から、旅は野道を歩くのがいいと、一人勝手に“野道ウォーキング”なる言葉をつくって、休みの日には(当時千葉県に住んでいたのだが)房総半島周辺の畑を歩き回ったこともあった。

そして最近、切り口は全く違うが、このイメージを思い出すことになった2つの話を聞き、読む機会を得た。話のほうは小松さんという方の水産資源がらみの話、本のほうは神門(ごうど)さんという農業経済学者の『日本の食と農』という本だった。

日本の漁業はオリンピック操業といわれ、よ~いどんで資源が枯れるまで競争してしまうから持続性がない、ヨーロッパの漁業は、まず先に水産資源はその国民共有財産であるとみなしたうえで、漁業者に操業権とその適正で持続的な管理の責務を課す。小松さんは、資源管理型漁業といって、海は無限ではないという前提から、海を畑になぞらえて話しをされていた。

ところが神門さんの本は、その当の畑、農業の問題を厳しく糾弾していた。神門さんの主張は乱暴な要約をするとまず、農業者、農地、農協、制度などの構造的な問題の顕在化を明らかにする。別の本で「僕は既得権益とか不労所得というものを徹底的に嫌う」というような発言をしていた神門さんは、中山間地の高齢化などが耕作放棄の拡大の主要因といった説はまやかし、放棄地のほとんどが、自分の農地が巨額の財産に化けることを期待して、耕さないまま放置している優良農地である現状を嘆く。農地というものが、あたかも先祖伝来、その当地を所有している農家の私的な財産だとする考えは間違っている、農地は農地法に定められた条件のもとで審査されてはじめて取得が許されるもので、本来は国民共有の財産であればこそ許された特別な所有権……。

この農地の話から僕が「畑は海である」という連想をしたのは、神門さんが農地というものをこの上なく真剣に、(言い方は陳腐だが)愛しているのかなと感じたからだ。

専門的な指摘や状況分析は僕のシゴトとも関わりのある部分で、説明すると長くなるので、というか力が入ってしまうので省くが、悩ましく苦々しい農政という現実からこつこつ紐解く神門さんの論点から浮んできたのは、畑を耕す人が、汗をしてひたむきに土に向き合い働く姿だ。働かない土地持ち非農家がいない農地。その場所から、海のようにみんなから愛され、作物がそよぎ流れる畑が広がる情景が浮び出てきたのだ。とても素朴に、難しく考えなければ、畑も豊穣の海なのである。涙することのできる風景なのである。

耕すことで無から有を生み、国民のかけがえのない食を保障する農地というものは、国民のみんなから愛されて、その信託を受けて、農業者に預けられている。と考えると、少なくとも農業者は、土地転がしなんぞ考える不純な輩であってはならない! その信託に誇りを持って応えたい、という社会的な責任感と生きがいを持つ人から選抜されるべきだ。少なくとも全耕地面積の半分ぐらいはないと信頼されないんじゃないか。WTOだ規制緩和だと騒ぎ、同時に自給率50%など矛盾を抱え込んでいる今の日本で、その内実が土地転がしの耕作放棄となれば、国はどんな説得力も生むことが出来ずに総崩れ、この食料争奪の時代に、働かない農民が増えて自給も出来ず、かといって外国からも売ってもらえない総崩れの状況になっちゃうんじゃないか。

(こう考えるとその先には個人またはコミュニティ単位での自衛または自給という考えにも思い至るが)

……さてこの純然たる発想、いささか原理的なので、残り半分の半分は中山間地のサンクチュアリ的な場所や、企業参入も土地ころがし何でもありの場所とか、世捨て人救済瞑想異空間とかたくさん実験すればいい。僕はその他の場所にいつか瞑想の場所ほしい……

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