
新しいホームページができました!
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いらっしゃい~
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2008年に発行された幻の冊子。テーマは「南のムラ」そして「水を巡る旅」。
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食のたからもの再発見
東京財団2009年度政策提言プロジェクト全25編。今の時代に残る各地の食の「記憶」をまとめた貴重な記録。「釜炒り茶」「木曽赤かぶ」を担当。各方面で活躍中の執筆陣に叱咤され貴重な経験させてもらった。椎葉村、九州のお茶は忘れられません



味の箱舟/ark of taste
2007年、スローフード協会のプロジェクトに協力。現在22品目が国際認定を受けた、日本の「味の箱舟」品目のうち13品目の認定を手伝った。認定品目(英語)はこちら

ここきち!
知人のMさんがやってる農家レストランポータルサイト。

国友農園
高知県いの町、山奥の実生自生のお茶を再生させた釜炒り茶。自然とともにあるお茶の原風景が広がって

熊野鼓動!
がんばってほしい友達がいるところ。

お米のふなくぼ
お米のこと、ごはんのことを大切に考えるお米屋さん

森の空想ミュージアム
宮崎県西都市。児湯郡木城町茶臼原のすぐそばで、祈りの空間。主宰は高見乾司さん。九州の民俗仮面博物館もある

*ナナオサカキ*
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- 2010/09/21/Tue 23:32:30
- CATEGORY:[toko]風景
飛び降りたかった!

福岡からの帰り、窓から下を眺めていた。
どこかなと目を凝らして、
まずは国東半島から佐伯あたりが見えて、
ゆるゆると佐田岬から愛媛宇和島あたりに、
そしておお、高知県じゃ、
わが師匠Hさんが潜伏しちゅう四万十そして須崎。
そこで我に帰ってカメラ取り出しぱちりと。
眼下にたぶんこれは仁淀川くねくねと太平洋に至る。
きっとこのどこかに国友農園さんも入ってるはず。
んで室戸あたりまで見てカメラをしまった。
が、その後なんと、この写真の下、左右に走ってる川?を左に進んだあたり、
こじゃ~んと、棚田が展開していた。
ざんねんカメラに収められなかったのはくやしいが、
あんな場所にこそ、求めてやまぬおいしい茶畑があることを想像してしまった。
まじ飛び降りたかった!
釜茶ばぁ秋まで寝かすがうまいゆーき
Hさんいつか連れておーせゃ
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- 2010/09/19/Sun 23:26:01
- CATEGORY:[toko]風景
星野村、石積の棚田

見上げるような山の斜面、棚田の石積みが整然と稜線に続いていた。
このひとつひとつに稲が根付き、予定通りの秋の収穫を迎えるためには、ひとつひとつがしっかりと水を湛えるよう、いつも人が入って補修を繰り返さなければならない。1軒の民家を維持するのさえ大変なのだから、この棚田の維持にかかる労力の膨大さが想像される。九州は雨も多いし、それは地形の変化との戦いになるだけではなくて、単に大型の田植え機稲刈り機を使えないという問題でもない。それは石を積み続ける、はるかな時間の重みの象徴のようだ。
日本農業の非効率の象徴のように言われる棚田、後継者不足で維持が困難と言われる棚田だが、遺産としてではなく、多くの実りにより、ここに暮らす人々の喜びとして生き続ける棚田であってほしい。
福岡県星野村、広内上原(うえばる)の棚田
棚田百選のひとつとして登録されているもよう。t
- Tag :
- 棚田
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- 2010/06/22/Tue 02:00:46
- CATEGORY:[mono]お茶
嬉野の大茶樹

佐世保から長崎に戻る途中、前から見に行きたかった嬉野の大茶樹に立ち寄った。
車の途中から雲行きも怪しい。途中、嬉野という場所の風景を眺めつつ、国道を折れ山道をのぼりつめると、その場所はあった。なんとかギリギリ降られずに到着。昔ここにこの樹を植えた人がいた。当然この地での茶の発祥に関係するらしいのだが、柵に囲われたその樹には特段の感慨もなかった。
ここ嬉野という場所は、大陸からもたらされたという茶の生産様式が色濃く残された場所として、少し前までは釜炒り製茶が盛んで、嬉野の釜炒り製玉緑茶といえばそれなりに名を馳せていたのだが、今では蒸し製玉緑茶がほとんど。その理由はひとえに生産性。1時間に100キロも精算できる蒸しの機械に比べたら、自動化されたとはいえ釜炒りの機械では40キロがいいところ、この話は3年ほど前、熊本泉村の船本繁男さんに聞いた話だ。いわく「釜炒りは報われん」。
聞くところによると、嬉野には「釜炒り茶保存会」という団体もあるようだが、ささっと道沿いを見渡した感じでは、保存会の名にあるように、釜炒り茶はもう、保存される対象なのであって、その雰囲気、匂い、生活感などを感じることは出来なかった。茶樹の前でぼけっとしてると雨。そそくさ車に戻り、この日の宿、長崎市へと急ぐ。


ところが帰り道を走らせて少しずつ驚く。それはボクが来た嬉野という場所が、思いのほか標高の高い場所だということ。帰り道は下りっぱなしで、道に沿った両側はずっと棚田と茶畑の連続。ここが長崎と佐賀を結ぶ山道峠道であり、その峡間に嬉野という場所があるということに思いがつながっていった。この場所に釜炒り茶が薄れた致し方なさはここの人のせいじゃない、時代がかわっていったのだから。もう少し、ゆっくりと時間をとって、また来るときは歩こうじゃないかと。そして、これほどまでに蒸しのお茶への興味を失った自分にも驚いていた。
- Tag :
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